株式会社下浦商店
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PHOTO 2018年5月26日
佐賀県産『ほおずき』入荷しました!!
夏の風物詩の代表と言えるほおずきは、七夕やお盆の飾り花、祭壇の飾りやお線香替わりとして利用されています。
なかに、外側と同じオレンジ色の球形の”ほんとの実”がある。この実の中身を楊子などで掻き出して皮だけにしたものを口にして鳴らして遊んだものです。名前も「ほほつき」(頬突き)の意味で、子供が口にして鳴らす頬の様子からついたそうです。
また、昔の方言で「オホ」という名前の亀虫がつきやすかったことから「オホヅキ」となり、それがしだいに「ホオヅキ」になった、とも言われています。漢字で書くと、「鬼燈」「酸漿」という難しい漢字です。よく「法月」という簡単な漢字で書かれていることもありますね。


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PHOTO 2018年5月25日
岡山県産『糸瓜(金糸瓜)』入荷しました!!
シャリシャリした歯ごたえで麺ツユや三杯酢との相性は抜群です。加熱しても食感が無くならないのでとても便利です。 夏場に涼を呼ぶ秀逸な食材。
"錦糸瓜"とも書きます。俗称ソーメンカボチャ。ウリ科カボチャ属のペポカボチャの一種で、ズッキーニなどと近い仲間です。
(糸うり)

参考:食材事典


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PHOTO 2018年5月24日
和歌山県産『パープルクィーン』入荷しました!!
昭和57年、小梅の「白王」の園地で、「白王」とは明らかに違って、濃い紫色の実を数粒着けた小枝を発見しました。
 枝変わりによる新種の誕生か?種の保存のため、その枝の穂をとって接ぎ木による育成、増殖を始めました。特性の調査、確認を行い、農水省に新品種として登録を申請、平成8年には登録がおりました。この新種の小梅を「パープルクィーン」と名付けました。梅の品種名はこれまで漢字が多かったのですが、この美しい紫色、若い消費者の需要を掘り起こしたいとの願いを込めて、パープル(紫)とクィーン(女王)の名を使ったそうです。
 パープルクィーンの特長は、果実の紫色もさることながら、梅酒や梅ジュースに漬けると、しみ出た果汁が透き通った独特のピンク色に染まることで、このような着色特性は他の梅の品種では見られません。
 木の特性や剪定・施肥などの栽培管理は「白王」と同じだが、枝や梢は紫色をしており、果実の重さは6c程度。熟期は5月中旬〜6月上旬になります。


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PHOTO 2018年5月22日
和歌山県(紀南)産『青梅(古城梅)』入荷しました!!
かつて青いダイヤ≠ニ称された青梅の「古城梅」。大きくツヤのある実は梅酒に最適とされ市場で一世を風靡しました。誕生は大正時代後期にさかのぼり、長野村(現田辺市長野)で梅を栽培していた那須政右ェ門さんが、穂木を接いで育成した中から、色つやが良く肉質良好な梅を発見したのが始まりです。昭和12年、西牟婁郡農会が郡内で集めた優良25種の一つに選ばれ、その際、他の梅と区別するため、政右ェ門さんは家の屋号をとってその梅を「古城」と名づけました。農会が3年かけて樹勢や品質、生産量を調査した結果、「古城」が最優秀系統と決定。郡の奨励品種となり、戦後の梅酒ブームも手伝って面積が拡大し始めました。昭和50年代から平成初期にかけて最も生産量が伸び、平成2年には2450t(旧JA紀南管内)と過去最高を記録。しかし、梅は収益性が高く幅広い用途の「南高」へと転換が進み、「古城」の生産量はピーク時の半分にまで落ちてしまいました。「古城」で造った梅酒は年月を経ても原液が透き通り、次第に琥珀色が濃くなるのが特長で、毎年30リットル分を漬け込み、原木系統や白加賀系、南高などの種別、焼酎と砂糖の割合、容器・保管場所・保管温度の違いなどでの微妙な味を吟味し、ほんまもんの古城梅酒≠フマニュアル作りを進めているそうです。
※サイズは『3L〜M』ですが、3Lサイズは特に希少で入荷も少ないため、ご予約お願い致します。


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PHOTO 2018年5月21日
沖縄県産『赤オクラ』入荷しました!!
莢の色が紫紅色をした5角の赤オクラで生食用として彩りが良く、熱を加えると深緑色に変化します。
オクラには独特のぬめりがあり他の野菜とともに、舌ざわりや歯ざわりを楽しむために利用されます。これらの野菜は健康志向や食生活の多様化から見直され、また、栄養的にも優れており、消費も増加傾向にあります。原産地には諸説がありますが、アフリカ北東部の原産説が有力です。2000年前にはすでにエジプトで栽培されていた、とても古い野菜の一つです。
日本には幕末期に渡来したといわれ、明治6年の記録が最初のものとされています。
オクラは戦前から野菜の一つとして園芸書に載っています。しかし、食用としてはほとんど栽培されなかったようです。ただ鑑賞用として栽培したり、コーヒーの入手が困難であった戦時中は、オクラの完熟種子がコーヒーの代用品として珍重された程度であったそうです。
第2次大戦後、台湾、東南アジアなどでの生活の経験者が内地に帰還し、これらの人達が食べ慣れたものとしてわずかに栽培し始め、また、高知県あたりで夏のハウスを活用できる野菜として高温性のオクラが選ばれ、栄養豊富な食品として宣伝し、料理法などを説明した印刷物を添えてパック詰めして出荷したのが広まった始まりです。戦後のサラダの利用が増えてきた時期でもあり、これが消費者にうけて爆発的な人気がおこり、消費量 の増大に伴って鹿児島県から秋田県まで各地に産地が生まれました。
入荷量は極少量です。お問い合わせ下さい。


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